きっと誰かに愛されている
本や心に響いた言葉、子供や発達障害のこと、聖書のことなど、思うままに書いています。
覚えておきたい言葉
2012.05.16 (Wed)
facebookで見つけたことば。
自分への覚え書きとして。
また、こんな言葉も。
自分への覚え書きとして。
真剣にやると知恵が出る
中途半端にやると愚痴が出る
いい加減にやると言い訳が出る
やる気がないとため息が出る
中途半端にやると愚痴が出る
いい加減にやると言い訳が出る
やる気がないとため息が出る
また、こんな言葉も。
美しい唇であるためには
美しい言葉を使いなさい。
美しい瞳であるためには
他人の美点を探しなさい。
オードリー・ヘップバーン
美しい言葉を使いなさい。
美しい瞳であるためには
他人の美点を探しなさい。
オードリー・ヘップバーン
テーマ:とりあえず書いとこ ~ф(゜゜) ジャンル:日記
原発と電気と新しい豊かさ・・・
2012.05.13 (Sun)
原発、放射能のことを話している人がいました。
少し離れた場所にいたので、一字一句聞き取れたわけではありませんが、こんな感じの会話でした。
タバコだって危ないから、それを考えると放射能もあまり変わらない。
ドカンと爆発した時は恐いけれど、3年も経てばねぇ・・・。
症状が出るまでに10年程かかるっているし。
うるさく言う人は(反原発の)運動家だけでしょう。
そんな言葉が所々聞こえてきました。
どちらが正しい、どちらが間違っているというのではありません。
ただ、自分の身近で直で「原発とか放射能とかそんなに心配することないよ」というような発言を耳にしたことがなかったので、人によって考え方、受け止め方は本当に違うのだなって、当たり前のことなのですが、改めて思いました。
福島原発事故のことを考えると、やはり私は、「原発とか放射能とかそんなに心配することないよ」という思いには至りません。
おそらく、数十年は戻れないであろう。
放射能は拡散し、多くの農作物を汚染し、海を汚染している。
育ち盛りの子供を持つ親は我が子の健康のことが心配。
外で遊べない子ども達。
そして、自殺者も多く出ていると言われています。
そんなことを考えると、タバコと同レベルには私には考えられません。
3年で環境が元に戻ることだってありえないと思いますし・・・。
小出氏が原発、原子力というものに反対の理由として、こんなことを書いておられます。
「原子力、原発というおのはあらゆる場において弱い者を犠牲にし、その命、生活、人生すべてを踏みにじるものだから。強い者が、享楽や自分達の利益のために弱い者を踏みにじるものだから。」
「子どもは、まさに弱い存在であり、原子力に対して何の責任も負っていない。にもかかわらず、大人の何倍も放射線に弱く、真っ先に犠牲になるのです。だからこそ、原子力は認められないし、子ども達は守らなくてはならないのです。」
そして何よりも、神様が「よし」とされたこの大地を、そこに生きる人や動植物といった生きとし生けるものの命の存在を脅かしていいはずがない、と思います。
電気は確かに必要なものですが、電気に頼らなくてもできることは案外あるようです。
「非電化工房」という会社があることを知りました。
トップページにこんなメッセージ。
「非電化掃除機」というものを販売予定のようです。
掃除機の原理について分かりやすく説明されているのですが、掃除機の原理である「吸って動かす」のがどれほど不合理か分かります。
欧米の「土足にカーペット」でない日本では、特にフローリングや畳では、昔ながらのほうきとちりとりで十分事足りるようです。
でも、それではめんどくさいという人のために「非電化掃除機」というのを販売予定のようです。
この会社の社長さんは、決して電化製品を否定しているのではありません。
「電気でなくても、ホドホドならできる」という発明例をお見せするだけです。
「電化と非電化、どちらがいいか悪いか?」という辛い選択ではなく、「電化と非電化、愉しい方を選ぶ」というのは如何でしょうか? 貧しい昔に戻るのではなく、新しい豊かさを実現する、そのための選択肢の一つとしての非電化という考え方です。
とのこと。
もう少しここのサイトの「非電化の話」を読んでみようと思います。
少し離れた場所にいたので、一字一句聞き取れたわけではありませんが、こんな感じの会話でした。
タバコだって危ないから、それを考えると放射能もあまり変わらない。
ドカンと爆発した時は恐いけれど、3年も経てばねぇ・・・。
症状が出るまでに10年程かかるっているし。
うるさく言う人は(反原発の)運動家だけでしょう。
そんな言葉が所々聞こえてきました。
どちらが正しい、どちらが間違っているというのではありません。
ただ、自分の身近で直で「原発とか放射能とかそんなに心配することないよ」というような発言を耳にしたことがなかったので、人によって考え方、受け止め方は本当に違うのだなって、当たり前のことなのですが、改めて思いました。
福島原発事故のことを考えると、やはり私は、「原発とか放射能とかそんなに心配することないよ」という思いには至りません。
おそらく、数十年は戻れないであろう。
放射能は拡散し、多くの農作物を汚染し、海を汚染している。
育ち盛りの子供を持つ親は我が子の健康のことが心配。
外で遊べない子ども達。
そして、自殺者も多く出ていると言われています。
そんなことを考えると、タバコと同レベルには私には考えられません。
3年で環境が元に戻ることだってありえないと思いますし・・・。
小出氏が原発、原子力というものに反対の理由として、こんなことを書いておられます。
「原子力、原発というおのはあらゆる場において弱い者を犠牲にし、その命、生活、人生すべてを踏みにじるものだから。強い者が、享楽や自分達の利益のために弱い者を踏みにじるものだから。」
「子どもは、まさに弱い存在であり、原子力に対して何の責任も負っていない。にもかかわらず、大人の何倍も放射線に弱く、真っ先に犠牲になるのです。だからこそ、原子力は認められないし、子ども達は守らなくてはならないのです。」
そして何よりも、神様が「よし」とされたこの大地を、そこに生きる人や動植物といった生きとし生けるものの命の存在を脅かしていいはずがない、と思います。
電気は確かに必要なものですが、電気に頼らなくてもできることは案外あるようです。
「非電化工房」という会社があることを知りました。
トップページにこんなメッセージ。
ひとが 電気を うみだした
電気が 便利を うみだした
便利が 肥満を うみだした
そうか ‥‥ 電気を へらそう
ひとが 電気を ふやした
電気が CO2を ふやした
CO2が 厄介を ふやした
そうか ‥‥ 電気を へらそう
でも ‥‥
電気を へらすと 便利が へるぞ
便利を へらすと 時間が へるぞ
時間を へらすと お金が へるぞ
お金を へらすと 幸せが へるぞ
‥‥‥ ほんとかな?
電気が 便利を うみだした
便利が 肥満を うみだした
そうか ‥‥ 電気を へらそう
ひとが 電気を ふやした
電気が CO2を ふやした
CO2が 厄介を ふやした
そうか ‥‥ 電気を へらそう
でも ‥‥
電気を へらすと 便利が へるぞ
便利を へらすと 時間が へるぞ
時間を へらすと お金が へるぞ
お金を へらすと 幸せが へるぞ
‥‥‥ ほんとかな?
「非電化掃除機」というものを販売予定のようです。
掃除機の原理について分かりやすく説明されているのですが、掃除機の原理である「吸って動かす」のがどれほど不合理か分かります。
欧米の「土足にカーペット」でない日本では、特にフローリングや畳では、昔ながらのほうきとちりとりで十分事足りるようです。
でも、それではめんどくさいという人のために「非電化掃除機」というのを販売予定のようです。
この会社の社長さんは、決して電化製品を否定しているのではありません。
「電気でなくても、ホドホドならできる」という発明例をお見せするだけです。
「電化と非電化、どちらがいいか悪いか?」という辛い選択ではなく、「電化と非電化、愉しい方を選ぶ」というのは如何でしょうか? 貧しい昔に戻るのではなく、新しい豊かさを実現する、そのための選択肢の一つとしての非電化という考え方です。
とのこと。
もう少しここのサイトの「非電化の話」を読んでみようと思います。
一人で食べたお弁当
2012.05.12 (Sat)
昨日、中1の長男は遠足に行きました。
渦潮と動物園の見学ということです。
帰ってきた長男に遠足のことを聞いていて、お弁当のことになった時に、誰と食べたのと聞くと、
「一人で食べた」と・・・。
ちょっと驚いた私・・・「みんな一人で食べたの?」
「違うよ。」
「のんだけが一人で食べたの?」
「うん・・・」
「一人で食べて、淋しくなかった?」
「別に・・・」
遠足で、お弁当を一人で食べるなんて・・・。
私にはそのことが信じられないというのか、受け入れがたいことでした。
今朝、中学校で「奉仕活動」と言って、親子で校庭の草抜き作業があり、作業が終わってから担任に、息子が遠足で一人でお弁当を食べたことを伝えました。
すると、担任は全然知らなかったと驚いていました。
小学生と中学生は違うかとは思いますが、先日子ども達と校外学習に行った時、お弁当を食べる時に、担任でない私でも「一人になってりまっている子はいないかな」と気を配りました。
担任ならば、それぐらいの配慮はするべきではないのかと思うのですが。
ある本にこう書かれていました。
「1人で食べた」=孤独と思い、それは淋しいことだと思うのは、もしかしたら言葉のイメージにとらわれているのかもしれません。
そしてまた、息子は彼が言うように、気にならないのかもしれない。
大勢といて気を遣うよりは、一人の方が楽なのかも知れない。
先日の日記で書いた、「一人取り残されるのが嫌だから、トイレに行くのさえ友だちと行く」という大学生よりは、一人で食べることのできる息子はあっぱれなのかもしれない。
ただ、私としてはグループで活動することになっていたのに、一人で食べた、ということにどうしてもひっかかりを覚えてしまいます。
いやいや、もうそんなことは考えずに、一人で食べることができた息子だと思った方がいいのかな・・・。
ただ、もっと悲しくなることがありました。
夜、主人に長男が一人でお弁当を食べたことを伝えた時です。
主人の返事に、私は言葉を失いました。
長男のことを伝えたあと、
「だいたい、あなたは物事の順序を間違えている。のんが自分から離れていったのか、気がついたら1人になっていたのか分からんやろ」
「気がついたら1人だったらしいよ」
「でも、それはあいつの自業自得や。人から浮きやすいからな。ハッキリ言ってうざいところがあるからな。」
主人のこの言葉に、泣いてしまいました。もちろん主人のいないところで。
確かに、息子は自分の興味あることを一方的に話してしまうところがあります。
その場にそぐわない発言をしてしまうこともあると思います。
人が何をしているのか気がつかず、自分の思いを一方的に話してしまうこともあります。
でも、それはわざとではないのです。
確かに発達障がいからくる特性で、マイナスに見える言動をすることがあるでしょう。
でも、いいところはもっといっぱいあります。
長所短所は誰にだってあります。
息子の短所は、長所をゼロにしてしまうほどのものではありません。
そして、そのとこは誰にでも言えることだと思います。
もっと理解してほしい、と思うのは甘えでは決してないと思うのですが・・・。
自閉症はただ特徴の一つでしかない。それだけでどういう人間か決まるわけじゃない。
"I do not suffer from Autism, but I do suffer from the way you treat me."
渦潮と動物園の見学ということです。
帰ってきた長男に遠足のことを聞いていて、お弁当のことになった時に、誰と食べたのと聞くと、
「一人で食べた」と・・・。
ちょっと驚いた私・・・「みんな一人で食べたの?」
「違うよ。」
「のんだけが一人で食べたの?」
「うん・・・」
「一人で食べて、淋しくなかった?」
「別に・・・」
遠足で、お弁当を一人で食べるなんて・・・。
私にはそのことが信じられないというのか、受け入れがたいことでした。
今朝、中学校で「奉仕活動」と言って、親子で校庭の草抜き作業があり、作業が終わってから担任に、息子が遠足で一人でお弁当を食べたことを伝えました。
すると、担任は全然知らなかったと驚いていました。
小学生と中学生は違うかとは思いますが、先日子ども達と校外学習に行った時、お弁当を食べる時に、担任でない私でも「一人になってりまっている子はいないかな」と気を配りました。
担任ならば、それぐらいの配慮はするべきではないのかと思うのですが。
ある本にこう書かれていました。
| 「普通」「孤独」「現実」「愛」「欲望」 よく使われるこれらの言葉だけでも、内包するイメージの持つ力は計り知れないものがある。 たとえば、「孤独」のもつ言葉のイメージ。それは「ネガティブなもの」であったり、「淋しい」であったり、「いたたまれない」状況であったりする。そして、その状態を修復するために、恋人をつくったり、結婚したり、家族や友人と交際を持つ。 しかし、そもそも「孤独」が淋しいものであるという固定観念こそが、孤独に苦しむ人々に孕む問題であり、人は人と共に居ようが、一人で生きようが孤独であり、また、すべての人々は、均等に孤独から逃れることのできない存在なのだというように、悩みを抱える人には、一度言葉のレッテルをはがしてやる必要がある。 |
「1人で食べた」=孤独と思い、それは淋しいことだと思うのは、もしかしたら言葉のイメージにとらわれているのかもしれません。
そしてまた、息子は彼が言うように、気にならないのかもしれない。
大勢といて気を遣うよりは、一人の方が楽なのかも知れない。
先日の日記で書いた、「一人取り残されるのが嫌だから、トイレに行くのさえ友だちと行く」という大学生よりは、一人で食べることのできる息子はあっぱれなのかもしれない。
ただ、私としてはグループで活動することになっていたのに、一人で食べた、ということにどうしてもひっかかりを覚えてしまいます。
いやいや、もうそんなことは考えずに、一人で食べることができた息子だと思った方がいいのかな・・・。
ただ、もっと悲しくなることがありました。

夜、主人に長男が一人でお弁当を食べたことを伝えた時です。
主人の返事に、私は言葉を失いました。
長男のことを伝えたあと、
「だいたい、あなたは物事の順序を間違えている。のんが自分から離れていったのか、気がついたら1人になっていたのか分からんやろ」
「気がついたら1人だったらしいよ」
「でも、それはあいつの自業自得や。人から浮きやすいからな。ハッキリ言ってうざいところがあるからな。」
主人のこの言葉に、泣いてしまいました。もちろん主人のいないところで。
確かに、息子は自分の興味あることを一方的に話してしまうところがあります。
その場にそぐわない発言をしてしまうこともあると思います。
人が何をしているのか気がつかず、自分の思いを一方的に話してしまうこともあります。
でも、それはわざとではないのです。
確かに発達障がいからくる特性で、マイナスに見える言動をすることがあるでしょう。
でも、いいところはもっといっぱいあります。
長所短所は誰にだってあります。
息子の短所は、長所をゼロにしてしまうほどのものではありません。
そして、そのとこは誰にでも言えることだと思います。
もっと理解してほしい、と思うのは甘えでは決してないと思うのですが・・・。
自閉症はただ特徴の一つでしかない。それだけでどういう人間か決まるわけじゃない。
"I do not suffer from Autism, but I do suffer from the way you treat me."
『子どもを蝕む空虚な日本語』
2012.05.09 (Wed)
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「マジ、ウザい」「ヤバくね」「ビミョー」「ムリっ!」 脈絡も論理も関係なし。無意味な会話が、子どものコミュニケーション力を破壊する。自分の言葉を持たない子どもたちは、いたずらに社会を恐れ、他人からの批判に耐える力が身につかない。 現役小学校教師が、危機的状況にある子どもの言葉の今とその将来に警鐘を鳴らす。子どもに「いつでも、どこでも、誰とでも」コミュニケーションできる力を身に付けさせるための方策を提言。(AMAZON内容説明より)
現役小学校教師として子ども達と接していて、気になる子ども達の言動について書いています。
レビューを見ていると、かなり否定的な意見もありますが、私にはとても参考になった本です。
本を読み終わって、息子の言葉遣いに深く注意を払うようになりました。
気になる子ども達の言動〜本より幾つかピックアップ。
考えるよりはまず拒否の言葉。何を言っても「えー」といった拒否反応。人間は、言葉で物事を考えたり感じたりするのである。
否定的な言葉が身についてしまった子どもたちは、否定的な感情や感覚を身につける結果となってしまう。
何を言っても「えー」がまず口について出てくるのは、単なる口癖かと思っていたのですが、否定的な感情が身についてしまっているとしたら、「単なる口癖」ということで処理してしまってはいけない。
流行語に振り回される子どもたち。「KY」「ビミョー」と言った言葉を使う子どもたちが多いそうです。
何か聞かれても「ビミョー」の一言で片付くなら簡単です。
でも著者は言います。
「自分の言葉で、自分の気持ちを表現してほしい。そうしないと、自分が何をしたいかという、人間としての根本的な欲求まで放棄することにつながりかねない」
「流行語に振り回されることなく、また事なかれ主義の風潮に乗ることなく、正しい言葉を適切に使える子どもたちを育てていくことが急務」
困った時にすぐに泣いてしまう涙を使って言葉を放棄している
困難に遭遇するとすぐ泣き出す、そのような状況でいちいち助け船を出していたら、その子はどうなってしまうだろうか。
泣いても、何も解決しない。特別いいことはない。困ったときにこそ、自分の言葉で考え、声に出して伝える。
怒った時に「むかつく」しか言わない。 一方通行型の会話が多い自分の言いたいことだけを言い、あとは相手がどのように考えるのかなど微塵もわからないよう。
友だちや大人とのコミュニケーションを取ることは素晴らしいものだということを体感させていく必要がある。これは長い時間をかけ、本人が感じていくべき類のものである。
すぐ横を見る子どもたち=みんなと同じように(手を挙げることさえ、友だちの目を気にする)「みんなが同じことをするなんて、無理な話だ。だって、一人一人人間が違うんだから、やることも違って当然。なのに、みんなは同じであろうとする。自分が人と違うと、何を言われるか分からないから恐いんだと思う。でも、そのままでいると、もっと恐いことがある。それは、他人に合わせようとしすぎて、自分自身がなくなってしまうこと。そのうち、自分が何を考え、何をしたいのかも分からなくなってしまう。」
親の姿勢●親の姿勢は子どもに必ず影響を与える。なぜなら、子どもという存在は、まずは自分の親をモデリング(手本にする)して、ものの見方や考え方、生き方を学んでいくからである。
親がしていることは良いことだと理解し、そえをそのまま自分の言動の中に生かしていく。
●ならぬことはならぬものです(会津藩の幼年教育「什の掟」の一つ)
●「言葉で命令するのではなく、自分の姿勢で感じてもらうこと。そして、自分の子どもの可能性を信じてあげることが大切」
自分の子をどうしたいかではなく、自分の子がどうなるのかを期待することであろう。
●肯定的な言葉を使う。否定的な言葉を発し、否定的な考えかに陥っている子どもたちを肯定的な気持ちに切り替えていくために。
モンスターペアレント子どもの前にたちはだかる障害物は全て撤去したいと思うらしい。
親がそうであれば、その子も同様にコミュニケーションが取れようはずもないだろう。
自分の子供をそこまでして主役に仕立て、いったいどんな将来を期待しているのか。
相手を責め、自分の権利を一方的に主張しても、子どもに残るのは責任放棄の感覚と依存心だけ。





「友だち100人できるかな」と入学の時期にはよく耳にします。
私も息子に「友だちと話した?」と聞くことがよくあります。その「友だち」ということについて、
友だちというのは、数ではない。どれだけ、自分が心を許せる相手がいるかどうかという、質の問題である。
絶えず友だちと何かを一緒にしていないと不安だという。
例えば、大学の学食で一人で食べていると、友だちだ誰もいない暗いヤツと思われて嫌だから、一緒に食べるために、友だちの授業が終わるまで一時間以上待つことさえする、一緒にトイレにさえ行くという大学生。
とにかく、人からの目線がすごく気になるという。
そういうことに対して、筆者の言葉。
自立と孤独とを完全に混同している。1人でいるということを、単純に孤独と定義しているのである。孤独ということを、他人の目という観点からとらえている。つまり、まず自分ありきではなく、周りの視線ありきなのである。




教育の役割について:子どもが社会に出ても困らない力を身につけさせること。大切なのは「教科書を教える」という域を出て、「教科書で教える」こと。「主体性」「課題発見力」「創造力」などの発揮の仕方である。 そのためには、確かな言葉を身につけさせる。「人間は言葉で思考する」のだから。





本で紹介されているある小学生女児の発言がとても小学生とは思えませんでした。その女の子はクラスのみんながお互いにほとんど挨拶しないので、「もっと、みんなで挨拶をしようよ。朝から黙ったまま挨拶がなかったら、一日が嫌なスタートになっちゃうよ」とクラスの子たちに訴えていたそうです。でも、クラスのみんなは無反応。そこで、その女の子に声をかけると、こう答えたそうです。(著者は女の子のクラスの担任ではありませんでした)
「私は逃げません。別にその事で裏で何かを言われても、平気です。それよりも、そのくらいのことで逃げてしまう人生の方が、よっぽど恐いです」
大人でもなかなか、言える言葉ではないと思うのは私だけ?
人のことは言えませんが、子ども達の語彙の貧困さは感じています。
でも、それはおおいに子ども達の近くにいる大人の責任なのでしょうね。
自分たちの未来に夢を持てなくなってしまった子どもたちの興味は、今何をしたいかということだけである。これでは、人とコミュニケーションを取り、何かを生みだしていこうとする姿勢が生まれるはずがない。
だから、
未来ある子どもたちのために、我々大人も、もう一度夢と希望を持つ必要があるのではないか。
語彙を豊かにしていくことと、夢や希望を持つ、とういことが関係があるという発想はありませんでした。
でも、言われてみれば、そうなのかなと思います。
自分からこれはぜひとも発信したいという何かがあると、子ども達はそれを表現するために、伝えるために言葉を紡いでいくでしょう。
何をしたいか、何をがんばっていきたいか、そういった「題材の多くは、子ども達の未来に存在する」と著者は言います。
だからこそ、未来、将来、夢、希望というものに、使い古された言葉かもしれませんが、目を向けることが必要なのかな。
そしてまた、そういったものは大人の姿が大いに影響を与えるのでしょうね。
また、語彙を豊かにするための5つの提言、社会人基礎力として挙げられている12項目等もとても参考になりました。
ひとりごと・・・いろいろ
2012.05.08 (Tue)
原発に関することを書いたのですが、こういう記事を目にすると、ますます原発はなくすべきだとの思いが強くなります。
「原発利権追及した記者に6,700万円の損害賠償請求」
こういう記事を読んでもそうですし、東電の「放射能は誰の物でもない”無主物”なので東電に除染する責任はない」という主張を認めたこと、小沢氏に対する強制起訴などをみていると、この国に独立した司法は存在しないのだとつくづくと感じます。
バスや船が事故を起こしたらすぐに捜査が入るのに、東電には未だなんの捜査も入っていないことなどはその典型だと思います。
結局、司法がその本来の仕事を全うしていないのは、やはりお金が人を狂わせたからなのではないかと思います。
また、昨日
『「原発が稼働しないと電力が足りなくなる」とバカの一つ覚えみたいに唱えるのではなくて、どうしたら電力が足りるのか考えてみたらいいと思う』
と書きましたが、彼らが何も考えようとしないのは、彼ら自身が一番よく知っているからなのだろう・・・・・・
「原発がなくとも、電力は足りる」と。

ゴールデンウィーク頃から家の周りでは田植えが始まりました。
日本のお米を安心して食べ続けたいですし、こんな風景の中で安心して自然を感じ続けたいと思います。
記事とは全然関係ありませんが、今日、超・超・超ショックなことが・・・
逆上がりが・・・・・・・出来なくなっていた!!

小学校の頃は鉄棒大得意で、逆上がりはもちろん、だるま回り、足かけ回り、両ひざかけ後ろ回り、蝙蝠ふり降り、海老上がりと、だいたいの技はこなしていたのですが・・・。
こんな日がやってこようとは・・・。
やっぱり年齢のせい?
練習したら、またできるようになるかしら?
「原発利権追及した記者に6,700万円の損害賠償請求」
こういう記事を読んでもそうですし、東電の「放射能は誰の物でもない”無主物”なので東電に除染する責任はない」という主張を認めたこと、小沢氏に対する強制起訴などをみていると、この国に独立した司法は存在しないのだとつくづくと感じます。
バスや船が事故を起こしたらすぐに捜査が入るのに、東電には未だなんの捜査も入っていないことなどはその典型だと思います。
結局、司法がその本来の仕事を全うしていないのは、やはりお金が人を狂わせたからなのではないかと思います。
また、昨日
『「原発が稼働しないと電力が足りなくなる」とバカの一つ覚えみたいに唱えるのではなくて、どうしたら電力が足りるのか考えてみたらいいと思う』
と書きましたが、彼らが何も考えようとしないのは、彼ら自身が一番よく知っているからなのだろう・・・・・・
「原発がなくとも、電力は足りる」と。

ゴールデンウィーク頃から家の周りでは田植えが始まりました。
日本のお米を安心して食べ続けたいですし、こんな風景の中で安心して自然を感じ続けたいと思います。
記事とは全然関係ありませんが、今日、超・超・超ショックなことが・・・
逆上がりが・・・・・・・出来なくなっていた!!

小学校の頃は鉄棒大得意で、逆上がりはもちろん、だるま回り、足かけ回り、両ひざかけ後ろ回り、蝙蝠ふり降り、海老上がりと、だいたいの技はこなしていたのですが・・・。
こんな日がやってこようとは・・・。
やっぱり年齢のせい?
練習したら、またできるようになるかしら?






